『劇場版 魔法少女まどか☆マギカ [新編] 叛逆の物語』の断片的感想 (ネタバレ有)

  • 鑑賞中
    • 前半のプリキュアパートでは、ヱヴァ Q 鑑賞時のような「ナニコレ」状態だった。
    • ほむらの魔女化という筋書きは予想のうちだったので驚きはなし。
    • ほむら解放戦までの流れは素晴らしく、素直に感動的だった。
    • ほむらを結界から解放しアルまどが迎えに来るあたりで、そろそろ終わりかと思って、「想定の範囲内だったけど、いい後日談だったなー」などと呑気なことを考えていた。
    • で、あれ。終盤はずっと歯を食いしばってた。
  • 鑑賞直後はしばらく茫然としていた。
  • 鑑賞後の第一印象は、「なんて醜悪な物語なんだ」ということ。
  • 叛逆は、「ぼくが好きだったまどマギ」を徹底的に破壊した。まどマギ TV シリーズと劇場版前後編において、「ほむらが求めていたエゴイスティックかつ実現不可能な救済が、まどかによってグローバルな救済に変換され実現される。その救済の実現は、ほむらの "間違った" 救済を求めた行動の結果として可能になったものだ。実現した救済はほむらが望んでいた形ではないけれど、最終的に彼女はそれを受け入れて救済される」というプロットが、少なくともぼくにとっては、カタルシスだった。それゆえ、ラストの

    悲しみと憎しみばかりを繰り返す、救いようのない世界だけれど
    だとしてもここは、かつてあの子が守ろうとした場所なんだ
    それを、覚えてる
    決して、忘れたりしない
    だから私は、戦い続ける

    というほむらのモノローグが感動的なのだ。叛逆は、ほむらの救済を木っ端微塵にぶち壊した。ほんとうに、跡形もなく。それは、少なくともぼくが受容した、『魔法少女まどか☆マギカ』という物語を完全に拒絶することに等しい。

  • 叛逆の結末は、旧作においてほむらが既に抱えていた本質的な「弱さ」を引き継いだ、非常にまっとうな帰結ではある。叛逆を否定することは、そうしたほむらの「醜悪さ」から目を逸らすことでもあり、それは誠実な態度とはいえないだろう。
  • そして、「叛逆がぼくの望む物語ではなかったからといって、それを無かったことにしてまどマギから自分の好きな物語だけを取り出すのは、まさしく叛逆においてほむらが行なった「悪」そのものである」という構造が、あまりに醜悪 (かつ巧妙)。というわけで、叛逆に否定的であればあるほど、叛逆に対して向き合わなければならない。
    • もっとも、ほむらが「悪」であるかというのは微妙な問題じゃないかな。
  • とりあえず、叛逆の醜悪さに我々は対峙しなければならない。叛逆が我々に突き付けた問題は、「だから私は、戦い続ける」と言ったほむらをどうすれば取り戻すことができるのか、ということである。ここでいう我々とは、TV シリーズや劇場版前後編に救いやカタルシスを見出した人のことだ。
    • というかホムリストのことだ。
  • というわけで、『叛逆』は間違いなく最高級のアニメであり映画であるけど、その結末はまったく受け入れられない。
  • 悪魔ほむほむ超エロい。

2013-11-11、2014-01-13、内容修正